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ちょっと長めの独り言

流産について

流産しました。こんな話題だけど、時間が経ったらこの自分の気持ちも忘れていってしまうのかなあと思って、書き残しておく。


7月上旬に生理が来ていないことに気がつき、妊娠検査薬購入。陽性。
家の最寄りの産婦人科に予約を入れると、1番早くて7月31日の診察とのこと。とりあえず予約。

次の週、初めての妊娠だったのでちょっと不安になり、職場の最寄りの病院を受診。おめでたとのこと。エコーは早すぎて何も見えず。
この時不安だったのは7月上旬に妊娠に気がつかずアルコールを飲んだこと、家族が子宮外妊娠を経験しており自分も子宮外妊娠ではないかということ。お医者さんはアルコールは問題なし、子宮外妊娠はまだ週数が早すぎるのでわからない。来週改めて診察に。

月曜、トイレで出血に気づく。すごく焦ってGoogle検索したところ、少量の出血は良くあることだと。とりあえず仕事が終わった後に病院を受診。エコーで羊水の袋が見えるので、子宮外妊娠ではなさそうとのこと。出血については、これくらいの少量の出血ならうちの病院では特に処置はしてないとのこと。安心して帰る。

火曜、出血が続いている。昨日診察受けたばかりなのに心配しすぎかと思いつつ、念のため病院に電話。今日の診察時間内に来れたら見てあげれるとのこと。バタバタと仕事を終わらせて診察時間に滑り込んだら、診察が終わったあとお医者さんから大きな病院に紹介状書くので明日の朝イチで来てね、今日はとにかく安静にと言われる。帰って配偶者に報告。診察の時、動揺してどうして紹介状書かれるのか聞いてなくて、病気なのか、子宮外妊娠なのか、流産なのか分からなくて、家に帰ってからはひたすら部屋に閉じこもって色んな情報をGoogle検索していた(良くない)。なんか自分でもちょっと引いたんだけど、今年のおみくじ握りしめてた。今年のおみくじ大吉で、出産のところ「吉 さわりなし」ってかいてあったんですよね。人間弱った時は神頼みになるんだなってめちゃくちゃ思った。無くなったじいちゃんばあちゃんにも必死にお祈りしてた。
次の日、水曜日は半休を取り病院へ。切迫流産の診断書を書かれてそのまま大きな病院へ。3時間くらい待って、職場へはさらに遅れる旨連絡。やっと診察を受けて、「このまま成長していくか見ていきましょうね」と特に何も明言されず薬を処方されて終了。
仕事を溜め込んでいたため出勤、早めに退社。
木曜日。世の中がオリンピックお祝いムードで、四連休で、私は安静にしないといけなくてどこにも遊びに行けず申し訳ない。火曜日以降かなりお腹が痛くて立って料理するのが辛く、椅子に座りながら料理している。その日はゴロゴロして終了。夜も腹痛が酷い。朝起きたら布団に血のしみが付いている。普段の生理は出血が少ない方なので驚く。体がベトベトしていたので朝シャワーを浴びると、レバーのような出血があった。あー、これは、と思いながら、なんか変に冷静で、シャワーから上がってレバーのような出血でGoogle検索して再びあーこれはとなる。一緒に流産の症状を検索してこれはもう間違いないなってなる。出血、下腹部痛、張るような痛み、下腹部の冷感。一番顕著だったのが胸の張りが無くなったこと。ここまでもけっこう泣いてたんだけど、ちょっと嗚咽が止まらなくなって、何も出来なくなる。夫が心配して見に来る。もうこの時点で流産はほぼ間違いなさそうだなって思ってて、お腹も痛みがひいたし、オリンピックだし、せっかくの四連休外に出たいって伝えた。でも全然嗚咽が止まらなくて、しばらく落ち着くまで夫とスマブラをしていた。
母には切迫流産のことを伝えていて、4連休「近くまできたから」と理由をつけてトマトを持ってきてくれた。
次の週の水曜日、病院を受診して流産の診断。わかってたのに嗚咽がとまらなくで、慌てて病室を出たけどお会計まちの間も涙がでてきて完全に不審者だった。

うーんだめですね、だいぶ時間がたって整理できたと思ったんですけど、思い出すと涙がでてくる。とりあえずここまで。
夫も、両親も、支えてくれた。すごく気持ちが救われた。でもつらかった。
いつか「こんなことがあったね、つらかったね」で思い出せるときがくるといいな。