レコード

ちょっと長めの独り言

剪定された歴史(内田樹「寝ながら学べる構造主義」感想)

内田樹「寝ながら学べる構造主義」読みました。面白かった。こういう「聞いたことあるけど具体的にどういう話なのかよくわかんない」というものを解説してくれる入門書大好き。

まず、構造主義とは何か。
・「世界の見え方」は時代、民族、文化に大きく依存しており、考世界の見え方」は人によって違う。(アフガン戦争について、アメリカ人が見る世界とアフガン人が見る世界は異なる。イスラム過激派とかもそうなんだと思う。)
私たちの判断や行動は、時代、地域、所属する社会集団に規定され、社会集団が無意識的に排除してしまっているものは私にも見ることが出来ない。

次に、構造主義が出来上がる土壌を作った人3人。人間の思考は何かしらに制限されると考えた。3人
マルクス(1818~1883)
人間は「どの階級に属するか」によってものの見え方がかわってくる。(構造主義の土壌の話からは離れるかもしれないけど、マルクスは人間の個別性は「何者であるか」ではなく「何事をなすか」で規定されると言っている。大切なのはあるがままの自分に満足することではなく命懸けの跳躍を試みて「自分がそうありたいと願うものになること」。 この思想はヘーゲルの人間学から、マルクス主義、実存を経由して構造主義にも含まれている。)

フロイト(1856~1939)
人間の考えや行動は「無意識」に制限されている。本人はその事を自覚しておらず、にも関わらず考え方を支配している。

ニーチェ(1844~1900)
私たちが自明のことと思っていることは、ある時代、ある地域における偏見である。
ニーチェはもともと古典文献学者としてスタートした。古典文献を読む時は、その時代の人間にならないといけない。なぜなら感受性や価値判断基準が異なるので。ニーチェの時代、人々は自分たちの価値観が人類普遍的なものだと考えており、ニーチェは「いかにして現代人はこんなにバカになったのか」というテーマを持つことになる。
「道徳はなんの役にたつのか?」はイギリスの哲学者たち(ホッブス(1588~1679)、ジョン・ロック(1632~1704)、ベンサム(1748~1832))に究明されてきた問いだが、彼ら功利主義は過去を究明し、ニーチェはこれからの社会を予見した。

で、構造主義の父。
ソシュール(1857~1913)
言語活動は「ものに名前をつける」ことではなく、星空を星座に分かつように、非定型の世界を切り分ける作業である。
私たちの考え方などは、言語に制限されている。感情も、言語化されていない感情は表現し得ない。
身体もそう。アメリカ人は「肩がこる」ことはない。似たような表現はアメリカでは「背中が痛む」という。日本人もアメリカ人も似たような場所が痛いはずだが、アメリカ人はその時間違いなく背中(back)が痛んでいる。

構造主義四銃士
フーコー(1926~1984)
彼の言ってる「歴史は正しい歴史を一直線上に現在に向かってきているのではなく、現在以外のあらゆる可能性が排除されていった結果である」っていうのはFGOプレイヤーならすんなりわかること、というか「何を今さらそんなことを仰々しく述べているのか?」と思われるような気がするので、なるほど今ってポスト構造主義なのだなあと思った。構造主義の考え方が私たちに浸透している。
狂人は「何かわからないもの」から「何であるかわかった」ため社会から排除された。16世紀までは巫女や悪魔つきとして社会の構成員であった。

ロラン・バルト(1915~1980)
何も意味を有さないもの、空間を追い求めて、日本文化に理想を見出した。

レヴィ=ストロース
実存主義サルトルの覇権の時代を終わらせた人。
サルトルが「知識人たるものその時代に即した考えを持ち、進化していくべきだ」とカミュを批判したことに対し、「人間は自分たちの思想を過大評価する傾向にある。サルトルは『 この時代、この場所での(わたしの)思想が正しい』という考え方に基づきカミュを批判しているが、それは未開人が自分たちの物差しで思想の正しさを判断することと同じである。どちらも野生の思考である。」とした。

ラカン
精神分析では、分析対象者が過去を思い出そうとして過去を捏造してしまう事があるが、精神分析上はその過去が実際正しいかどうかは問題ではなく、分析対象者が自らの過去を語った、ということが大事

ラカン精神分析として握手のみを行った場合も料金を徴収した。

レヴィ=ストロースの章のサルトルのエピソードが印象的すぎて、ラカンの説明が全然頭に入ってこなかった。
サルトル、プライド高そうだし、完全論破(?)されて意気消沈、人生転落とかになってたらどうしよう…と心配になってしまった。ちゃんと元気に余生を過ごしてくれていればいいんだけど。