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ちょっと長めの独り言

長谷川修一「謎解き聖書物語」感想(産休日記23日目)

読みました。多分めっちゃ前のAmazonセールで買って放置してた本。

思ったよりだいぶ面白かったです。以下印象に残ったところまとめ。

 

旧約聖書は物語集。

旧約聖書にも書き手がおり、「こう受け取ってほしい」というような書き手の意思もある。

・人は神が土から作った設定。(ヘブライ語で土はアダーマー)西アジアでは土が身近、そして形を作ることができる材料だったこと、人間は死後地中で分解されることから。

・長年保存する必要のない文字は土器が割れた破片(オストラコン)に記していた。

ユダ王国新バビロニア王国に破れ、一部バビロニアに連れていかれた。バビロン捕囚。新バビロニア王国メソポタミア文明を継承し、高度な文明を築いていたため、ユダ王国の人々は「自分が自分でなくなる」(新バビロニア王国に染まる)ことを恐れた。そして自分たちのルーツとなる物語をまとめ上げたのが、のちの旧約聖書

・アダムとイヴが食べたリンゴの木。善と悪を知る樹とは、人間が神から独立することを象徴的にあらわした樹。

メソポタミアの神話では人は神の労働の肩代わりで作られた。一方旧約聖書の創世記では、人は神から祝福され、人生を全うする存在。

ノアの箱舟。神との契約を守る人間を神は滅ぼさないというメッセージ、契約に忠実であることによって破滅を免れることができる、と物語の書き手は読者に訴えかけている。

・悪は人間の側にあるのに、なぜ他の動物まで滅ぼされるのか? 神は世界をリセットしようとしたから。

・創世記には、神が試行錯誤しているように描く場面がある。物語は書いた人の考えを映すものでもあり、古代の人は神を人間と同じような、でももっと大きな力を持つ存在として神を考えていたのだろう。全能の神、という考えはもっと後の時代に生まれたもの。

・洪水物語は古代西アジアの伝統を受け継ぐ作品と考えることもできる。

・作者は神の口を通じて自分の考えを述べている。

ノアの箱舟が書かれた当時、人は肉を食べており、しかし人間創造編では人は植物だけを食べる存在とされていたので、どこかで神が肉を食べることを許した、と書かないといけなかったので、ここで盛り込んだ。

ギルガメシュ叙事詩。古代メソポタミア文学の最高傑作。ギルガメッシュウルクの王。3分の2が神、3分の1が人間。親友エンキドゥとの出会い、二人の冒険、エンキドゥの死についての物語。エンキドゥの死にギルガメッシュは大変驚き、不死を求める。若返りの草を手に入れるが、水浴び中に蛇に草を奪われる。ギルガメッシュは悔し泣きするが、物語の最後は彼がいかに立派で、最後に安らぎを得たかを語っている。古代西アジアの人にとっては、限りある人生で立派なことを行い名を残すのが満ち足りた生活につながると考えていたのかも。

ギルガメッシュ叙事詩で言及される洪水物語と、旧約聖書の洪水物語は似通っている。ノアの洪水物語を書いた人はおそらく、西アジアの洪水物語を知っていて、自分たちの物語として書きかえたのだろう。(ギルガメッシュ叙事詩新バビロニア王国が成立する前、アッシリア帝国の大図書館で発見されている。ノアの洪水物語はバビロン捕囚以降に書かれている。)

バベルの塔の物語。人々はシンアルの地、つまりメソポタミア地方を目指す。バベルとはバビロンのこと。

・「石の代わりにレンガを、モルタルの代わりにアスファルトがあった」という説明がある。これは旧約聖書の主な舞台となったパレスチナ地方は石とモルタルが豊富だったため。南メソポタミアは石が少なく、多くの建物がレンガで作られた。また原油埋蔵地域ではアスファルトが取れる。

・人々は散らされることのないようバベルの塔を建てようとした。何らかの理由で「地に満ちよ」に従いたくなかった?

・現在、「言語の起源」については様々な分野で研究されているが、いまだ不明。

・なぜ世界に互いに通じない言語を話す人がいるのか、その疑問に答えを与えるのがバベルの塔の物語。

・バビロンという言葉は、もともとバビロニアで話されていたアッカド語で「神の門」という意味。しかし、バベルの塔の物語では、「ヤハウェが言語を混乱させた地だから」という理由で「バベル」と呼ばれることになったと説明している。(ヘブライ語で「混乱」は「バラル」。)この物語を書いた人は、バビロンに対して否定的な気持ちを持っていたことが伺える。

・人間は神のようにはなれない、なってはいけないという思想が見られる。バベルの塔の物語のほか、エデンの園でも。人間が人間の限界をわきまえる大切さを説いている。

出エジプトは歴史の教科書に載っているが、史実であった証拠は見つかっておらず、フィクションだと考えられている。

出エジプトのストーリーは実際にエジプトから逃げ出した人々の記憶、口伝が反映されていると考えられる。

・民族の神話が作られるのは、その民族を一つにまとめようとするとき。江戸時代末期、外国の脅威を感じた日本政府は藩を廃して一つにまとめようとし、天皇を神の子孫とする古事記日本書紀の神話を用いた。これらは日本民族の建国神話とされている。

出エジプトは、バビロン捕囚で自分たちのアイデンティティが揺らいだ南ユダ王国の人々の団結を高めるため、自分たちのルーツであるヘブライ人の歴史を書き上げた。

古代オリエントにおいて、国同士の戦いは神と神との戦いとも考えられていた。イスラエルの神ヤハウェバビロニアの神マルドゥクなどに負けたと考えられても不思議はない。こうした時代、ヤハウェが強大な国エジプトから人々を救い出したという伝承は希望をもたらした。

・北イスラエルアッシリアに滅ぼされた際、多くの人が南ユダ王国に逃げ込んだ。国民を精神的に統一する必要があったための出エジプトの物語だった。(↑のバビロン捕囚での統一の必要の話と矛盾では?)

・海は割れたのか?実際は潮の満ち引きの話だったと思われる。

出エジプトの物語はしいたげられた人々の希望の物語であり、開放の希望をもたらす力がある。

ダビデゴリアテダビデ、川からなめらかな石を5つ選んでいる…。宝具じゃん…。

旧約聖書は知恵を働かせることについて否定的に捉えていない。だましたりだしぬいたりもOK。

旧約聖書ではダビデに永久に続く王権が与えられたこととされている。なのでメシア、キリストはダビデの血筋でなくてはならなかった。新約聖書には父ヨセフと母マリアの系譜が記され、どちらもダビデに行き着くこととなっている。

旧約聖書は南ユダ王国の人々が困難に直面した時代にまとめられた。このような過程で出来上がった作品は書き手から読み手へのメッセージが補われたり、改変されたりした部分が少なからずある。そのため旧約聖書は歴史を考える材料にはできない。

 

思ったよりだいぶ面白かった。特に「旧約聖書の書き手」の存在って意識したことがなく、興味ぶかかった。読んでよかったです。