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ちょっと長めの独り言

夜空を切り分ける(星野博美「みんな彗星を見ていた」感想)

読みました。星野博美「みんな彗星を見ていた」。米原万里さんの「打ちのめされるようなすごい本」にで書評が乗ってたんですけど、私この「打ちのめされるようなすごい本」がすごく好きで。この本の中で登場する本を少しずつ読んでいこうと思っている。

第1弾は星野博美さんの「転がる上海に苔は生えない」のつもりだったんだけど(上海デモが今ニュースで取り上げられていることもありこちらの本を選んだ)、残念ながら地元の図書館では所蔵していないとの事。妥協案として同じ著者の「みんな彗星を見ていた」を借りてきました。

リュートから始まる、キリスト教を中心としたお話。キリスト教でなんでリュートの話?って思ってたんですけど、めちゃめちゃ面白かった。リュートを作る時、著者は「できるだけアラブの特徴が残るように」って注文するんです。「アラブ風に」ではなく。なんかこの人のこととても好きだなあと思ってしまった。

キリシタンの世紀」から見る日本でのキリスト教の歴史について。私は遠藤周作「沈黙」の印象が強かったんですけど、あれは本当に一部のみが取り上げられているんだなあと。(だからこそ1人の宣教師に感情移入出来て、身に迫る読書体験ができるんだと思うんですけど。)
加害者としての日本について。長崎での宣教師の虐殺。歴史では、得てして加害者としての歴史は語り継がれないもの。日本ではあまり認識されていないが、スペインなどでは日本での宣教師の処刑は有名。

キリシタンの歴史については、著者はとってもキリシタン寄りの捉え方をされており、なかなかそこまで気持ちがついて行かなかった。徳川家康キリシタン虐殺を決めたのが関東の浜辺だったらしく、「その場所を通るたび背筋が寒くなりそうだ」と感じるシーン、とてもキリシタンに思い入れを強くされているんだというのがわかる。私なんかは「そんなことでゾワゾワしてたら日本全国各地でゾワゾワしないといけないのでは…」などと思ってしまう。

当時の鈴田牢に入っていた宣教師の手紙などを一つ一つ読みといていくところ、大学の研究者の人みたいだな〜と思った。読み解くにつれて、書簡などに一人一人の性格や個性が滲み出てることに気がつくところ、そして推しキリシタンが出来てしまうところ、親近感を感じてしまう。宣教師のことが好きになってしまうんだよな。

彼らの殉死に対する考え方について。彼らが本当に心から喜んで死を迎えられたのだと思えば、彼らのあの悲惨な結末にも救いはあったのかなと思える。私はこの本を読むまで「殉死」に対するカトリックの特別な考え方を認識していなかったから。でも、彼らの書簡には殉死することを誇りに思うような書きぶりが残っているけど、本当にそれだけなんだろうか。だって、日本人は考えられないような残酷な殺し方や苦しませ方をしてきた。彼らの心の中には、怯える気持ちや、生き続けたいという気持ちもわずかにありながら、それでも信仰心が勝って死を受け入れたんじゃないだろうか。特にキリスト教を信仰するわけではない、現代を生きる私には、そんな風に思えてしまう。

最後、パードレ達の故郷を訪れるところがとても良かった。コンゴ人の宣教師の話。日本で処刑された宣教師を聖人として崇めるスペインの村の人々。彼らは、その宣教師が殺された時、イエズス会など他の会の宣教師や数万人の日本人キリシタンが殺されたことを知らない。(私だってそういう認識がなかったのだから、当たり前のことではある。)
お互いに伝え合いながら、理解を深めていく。かつての日本人キリシタンは、宗教心からだけではなく、パードレその人に会いたくて教会に通っていた部分もあるのだろう。人間的魅力に溢れた宣教師たち、彼らの日本での生き様を知ることが出来る良書。