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ちょっと長めの独り言

切除される私たち(FGO2部5章「神を撃ち落とす日」感想)

FGO5章、読み終わりました。

正直にいうと、最初の方のギャグパートとか大変寒い感じがして、あっ私5章ダメかも〜!って思ってたんですけど、最終的に大丈夫でした。
お正月本当に何も無いのか?


5章とは関係のない話。

FGOって基本的に人間賛歌だと思っている。
2部に入ってからは特にそれを感じていて、なぜなら異聞帯を滅ぼすとき、ぐだたちは「その異聞帯に生きる人たちが前に進まないこと」を根拠にするから。

もちろん「前に進まない」というのは人間という種全体で俯瞰した時の話。
でもですね、個として考えた時、「私は前に進んでいる」って自信を持って言える人は一体どれくらいいるんだろう。私自身が生きている中で「自分は着実に前に進んでいる」あるいは「自分が人類を前に進めている」って思えることってほとんどないんですよね。もちろん人類全体としては前に進んでいる、進もうとしている。
一方、私が人類の前進に貢献しているか?っていうと貢献してないし、なんなら私個人として前進しているか?っていわれても自信をもって「はい」とは答えられない。日々をそんなに一生懸命に生きていない。3章SINに生きる人民と、そんなに違わないのかもしれない。
だから、ぐだの空想切除のたびに、まるで自分が滅ぼされたような気分になる。異聞帯を滅ぼす根拠として、人類の進歩のなさが理由にされる。まるで、私という存在を滅ぼす根拠を述べられた気分になる。私は人類史にとって必要のない存在。多分実際そうなんだろうけど。ぐだが悩みながら切除する、私ってそういう存在なんだろうな。って思う瞬間がある。

あまりにも被害妄想とも思うんですけどね。ぐだの空想切除のたび、どこか痛みのような、罪悪感のようなものを感じながら読み進める自分がいる。切除されるべき存在がまだのうのうと生きていることについての罪悪感。

全然5章の内容に触れてないけど、そんなことを考える年の瀬でした。