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ちょっと長めの独り言

愛とは何か(ロリータ感想)

ナボコフ「ロリータ」を読んだ。
以下感想。盛大にネタバレしています。

○最初の文章のインパクトすごすぎ
ロリータはこんな文章から始まる。
「ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が 罪、我が魂。ロ・リー・タ。舌の先が口蓋 を三歩下がって、三歩めにそっと歯を叩く 。ロ。リー。タ。」
ロリータへの崇拝と、主人公の変態さが伝わってくる、とても美しい文章だと思う。しかも我が腰の炎って。一文目から下ネタ。でも美しい文章。すごい。

○エロい
読むまではなぜか、ロリータは清らかなまま、ハンバートに半ば崇拝されたような形で指一本触れられずに物語が終わるものだと思っていたのだけど、むしろそんな話を読んでみたい気もするんだけど、実際は出会った時にはロリータは非処女で、ハンバートとあっさり姦通する。まじか。
しかし、この物語で一番エロくて変態度高かったのは、姦通の前、彼女は処女だと思い込んでいた時のシーン。ソファに座るハンバートの横で雑誌を読んでいたロリータが、突然ハンバートの膝の上に自分の足を投げ出して、ハンバートは息を潜めながらロリータの細くて柔らかい足に自身の一物を擦り付けるシーン。こうして文章で書くとやばい。そのシーンは、私もハンバートと一緒に息を潜めながら読んだ。とてもエロい。

○ハンバートがクズ
ハンバートはクズだと思う。どの辺がクズかというと、ロリータを愛しているのではなく「14歳の」ロリータを愛しているところ。ロリータという人間を愛しているのではないのだ。
ハンバートは作中こんなことを考えている。
「ロリータと結婚するのはよくない作戦だ。なぜなら彼女はじきに老いて、ニンフェットでなくなってしまうから(ニンフェットでいられるのは14歳までであり、ハンバートが愛することができるのはニンフェットだけである。)。だがしかし、結婚すれば彼女との子供を愛でることはできる。そしてあわよくば、孫までも愛することができる。」
まじで? この人気持ち悪い!
どの辺が嫌だったかというと、ハンバートがロリータを愛しておらず、彼が愛しているのは「14歳の」ロリータである。なんだかすごくショックを受けた。ハンバートは、ロリータという人間を愛しているのではないのだ。
ハンバートのダメなところは、愛せる条件が年齢によるものであること。本人の努力ではどうにもならない部分だ。私はどうしても女性目線で物語を読んでしまうのだけど、例えば「君のこと心から愛しているけど、25歳以上になったらもう愛せないよ!」と言われたら、とても辛い。腹立たしい。全く嬉しくない。
人間は不変ではない。かつて愛した人が、月日を経て様変わりしてしまうこともあるかもしれない。でも、人を愛するということは、その人の有り得べき未来も含めて愛することではないのか。違うだろうか。

○成長したロリータ
ハンバートの元からロリータが逃げ出した数年後、ハンバートにお金の支援を受けたいという手紙がロリータから届く。会ってみると彼女は妊娠中で、他の男と結婚しており、ただの女になっていた。でも、ハンバートは彼女を手元に置きたがるんですよね。もう、ニンフェットではない彼女を。ここにきて、初めてハンバートはロリータを愛してるんだなあと思った。たとえ、それが長年に渡る逃走劇のなかで生まれた執着心だったとしても。

○叙情的なラスト
この手記を公開する条件として、「ロリータの死後に」という条件を出している。が、冒頭の第三者の手記を読むと、ハンバートが獄死して時間をおかずに公開されていることがわかる。ロリータの死については、ラストまで読み終えた読者がもう一度冒頭の手記を読み返すとわかる仕組みになっている。
ハンバートはロリータに対して、いくつかの条件を出している。「夫となった男以外とは繋がらないこと」など、ロリータへの愛と独占欲と慈しみが感じられるものとなっている。この感情を向けたロリータが、ハンバートの獄死と時期を同じくして死んでいること、このハンバートの思いを知らぬまま死んでしまったことに、たまらない気分になる。
とても刹那的で叙情的でロマンチックでもある。

とても印象的な物語であった。ロリータが14歳でなければ純愛ラブストーリーであったに違いない。ああ、でもたとえ14歳であったとしても、ハンバートの愛が純愛であったことには変わらないのかもしれない。ただ、14歳の少女を心から愛してしまったというだけ。